The Spice Of Life

人生に、スパイスを。

見栄っ張り

 

なんと、本日は2018年8月22日。前回の更新月は11月。あっという間に冬と春を乗り越えてしまった。それどころか、もうすぐ夏を終えようとしている。なんてこった。

書き始めた現在の時刻は22時前。夕方からずっとパソコンでの作業をしていたのだが、ふと晩御飯を食べていないことに今さっき気が付いた。夏が終わる予感がするからなのか、そうめんを食べてみた。みょうがと大葉とおろし生姜で夏を味わった。美味。

 

さて、話は戻るが、投稿はずいぶん久しぶりになる。下書きはたくさん溜まっているのに、なかなか編集して書き上げる時間の余裕がなかった。更新していない間は決して怠惰な生活を送っていたわけではなく、目の前のことに精一杯取り組んでいたつもりだ。だが、いかんせん時間が経つのは早い。ブログで日々の記録をつけようと意気込んでいた自分はどこにいったのか。更新していない間にどれだけ自分は成長できたのか。気持ちはますます焦るばかり。何に焦っているかは自分でもよく分析できていないのだが、このままの体感スピードで大学生活を終えてしまうと…と想像すると、恐ろしい。

 

そんな今日の話題は、「自分」のことにしようと思う。

現段階での自己分析でもしてみよう。また将来見返すと、とんでもなく恥ずかしい気持ちになるのだろうか。過去の自分を受け入れて、肯定的に捉えられるような大人になりたい。

 

もうタイトルを見たり記事を読み進めたりして察している方もいるかもしれないが、たぶん私は、「見栄っ張り」だと思う。いや、確実に?

 

特に同級生や先輩から 「しっかりしてるね」「真面目だね」「お母さんみたい」などと言われることが多い。きっと、そう見えているのは事実だと思う。

ただ、実際のところ、私の心はそれをいつも鼻で笑っている。これは大学生になってしばらくしてからの変化かもしれない。と言っても、相手を馬鹿にしているというわけではなく、情けなく思ったり呆れているという表現にほど近い。自分に対してか、相手に対して、どちらにもなのかは断定できない。どうしてか分からないが、「他の誰も、本当の私を知りもしないのに」なんて思いながら、そういう言葉をかけられるたびに心にグサリと矢が刺さる。期待がさらにのしかかるように感じるのか、プレッシャーを感じるのか。

 

「しっかりしている風に見える」のは、言葉遣いや挨拶に気を付けていたり、常に大きくはっきりとした声で喋ろうとしたり、出来るだけ笑顔を保って明るく振る舞うようにしていたり、変なところで行動力に溢れていたり、意外と自分の意見を口に出したり、夢を熱く語るところがあるからだと思う。ちゃんと装っているんだから、しっかりしているのは当たり前なのに。

 

とか言ってまた本当は無理やり背伸びしているだけで、中身はすっからかんなのが私なんだろうな。どうして私は私をいつも取り繕おうとするんだろう

 

こだわりが強くて、プライドが高くて、見栄を張りたがって、他人からの目線や評価を気にしてしまう、実は怖がりな自分。そんな私は、時として、ものすごく弱い。その姿は、母親くらいしか知らないかもしれない。当の本人でさえ、自分の感情のコントロールの仕方が掴めない時がある。

 

大学に入学してから秋までの間に、7kgは体重が増えた。ストレスや不規則な生活のせいで過食してしまったり、金銭面での余裕が出来て選択肢の自由を手に入れて、一度の食事を多めにとってしまったり。運動不足ももちろん理由の一つではあるかも。

 

何が言いたいかと言うと、今の自分は自分にとってどんどん嫌な存在になっていて、このままではいけないという危機感を感じている。

 

 

最近たまたま見た動画で印象的だったものをここで紹介したい。もちろん、後になって見返すための記録でもある。

 


5-75歳まで総勢70名の女性による、人生のアドバイス。|VOGUE JAPAN

 

 

私は私らしく生きたいし、生きるべきだけれど、その行く手を阻むのもまた自分なのかもしれない。

 

 

 

そんな私に一番心にぐっと来たメッセージは「自分の親友になること」

 

 

これこそ私が求めていた答えなのかも