理解とはなにか
いつだったか、とある月曜日の講義でこんなことを尋ねられた。
"理解"とはなにか
一番前の席に座っていた私は、先生と目が合ってしまったが運の尽き… 案の定当てられる。
なんでも、授業評価に5ポイント加点してくれるというのだ。学生から手が挙がらないので仕方ないということも分かるが、一教員としてそういうくだらない誘惑はするべきではない。
なんて、色々思うことはあったがとりあえず質問に答えた
「理解とは… 受け入れることです」
「何を?」と聞き返された
しばらく間を置いて「今ある状況や、相手の考え、その他あらゆる色んなことを…でしょうか」と答えた
ちょっと曖昧すぎたかな、
結局、先生の考えと私の考えは違ったようだ
求めているのと違った答えが出たときって、どの先生も微妙な表情をする
「うーん…」
そう呟きながら、先生はまさにその表情を浮かべた
そんな先生は「理解することとは、違いを認識した上で、受け入れること。その人を大切な存在として認めること。」という考えだそうで。
心の声としては(あながち間違いでもないやん…)という感じ。言い訳がましいが、私の意見は、違いを認識するという意味も含んだ上での「受け入れる」だったから。
ふと思ったが「"認める"とはなにか」と聞かれたときも、私は同じ答えを言っていたかも
うーん
自分の頭の中で、言葉の定義付けをするのはやっぱり難しい
それ相応の頭脳を持ち合わせていないというか、知識に欠けるというか。
そもそも、人それぞれ解釈の仕方が異なるし、各々が持つ考えは多種多様なので、
…と、ここまで書いたが、
先生は「理解することって、どういうことだろう」と学生に考えてほしかっただけだったのかもしれない
言葉の意味や定義を正すために質問したわけではなさそう
まぁいっか
理解。実に難しい概念である
そんなことをぼーっと考えていた
(自分のありのままの思いを記事にするときは、こうやって である調を使うことが多いかもしれない)